「祈りの聖地」、東大寺での「手」コレクション^^
2012年01月15日
私は、奈良に移り住んで約14年。何かの節目には必ず東大寺さんにお参りしてきました。
東大寺は、私にとって「祈りの聖地」です。今回は、受験生の応援のために参拝。これだけお祈りすると、大隈重信公も福沢諭吉公も「東大寺さま、大仏さまからのご依頼だからしゃーないな」と思って入学許可してもらえるんじゃないかと思うくらい(笑)
帰り際ふと見た大仏さまの「手」が、あまりに伸びやかで美しいことに気がついてさらに大感激!あっという間に虜になりました。
「手の表情」とはよく言い当てたもので、かなり奥が深い。これからのモチーフにしていきます。

























東大寺は、私にとって「祈りの聖地」です。今回は、受験生の応援のために参拝。これだけお祈りすると、大隈重信公も福沢諭吉公も「東大寺さま、大仏さまからのご依頼だからしゃーないな」と思って入学許可してもらえるんじゃないかと思うくらい(笑)
帰り際ふと見た大仏さまの「手」が、あまりに伸びやかで美しいことに気がついてさらに大感激!あっという間に虜になりました。
「手の表情」とはよく言い当てたもので、かなり奥が深い。これからのモチーフにしていきます。
父ちゃん、また来るからね!
2011年12月03日
父を見舞った。
先週からかなり衰弱して、手を握り返せなくなっていた。
言葉も出てこない。
「みんな仲良くがんばるから、安心してね!」
「また来るからね!」
手を握りしめながら何度も話をした。
父はわかってくれた。言葉にならない言葉が返ってきた。頭はしっかりしている。だから余計に辛い。
ただひたすら願うこと。神さま仏さま、どうか少しでも痛みを和らげてください!そして少しでも安らかに過ごせますように!
合掌mm
帰り際、献身的な看病をしている母が言った…
もうその時まで連絡しないから…
…
沈黙をもって同意した…
しかし、わたしは父と約束したのだ。
また来るからね!
それがお互い生きる糧となりますようにmm


先週からかなり衰弱して、手を握り返せなくなっていた。
言葉も出てこない。
「みんな仲良くがんばるから、安心してね!」
「また来るからね!」
手を握りしめながら何度も話をした。
父はわかってくれた。言葉にならない言葉が返ってきた。頭はしっかりしている。だから余計に辛い。
ただひたすら願うこと。神さま仏さま、どうか少しでも痛みを和らげてください!そして少しでも安らかに過ごせますように!
合掌mm
帰り際、献身的な看病をしている母が言った…
もうその時まで連絡しないから…
…
沈黙をもって同意した…
しかし、わたしは父と約束したのだ。
また来るからね!
それがお互い生きる糧となりますようにmm


石蕗(つわぶき)の花束をあなたに^^
2011年11月03日
日陰の花ですが、「猫の鼻、ならぬ、猫の額」の我が家の庭で誇らしく咲いています。匂いはそれほどではないですが、強力な吸引力で周辺の虫たちを呼び寄せます。
母曰く「若芽は食用になるし、葉っぱは薬用にもなるし、日陰でも育つんで、昔の人は大切にしていた」とか。昔の人の知恵が息づく花です。花言葉は「困難に傷つけられない」。
昔の人たちの知恵をもっと勉強して次世代に継承したい。家庭でも会社でも同じこと。そのような見えざる資産の積み重ねが「らしさ」なのでしょう。
「ちまちまと した海もちぬ 石蕗(つわ)の花」 小林一茶
「石蕗(つわぶき)の 日陰は寒し 猫の鼻」 酒井抱一(さかいほういつ)
「いくたびか 時雨(しぐれ)のあめの かかりたる 石蕗の花も つひに終はりぬ」 斎藤茂吉(さいとうもきち)
ひと株だけの彼岸花
2011年09月19日
都会の公開空地に咲き誇る,ひと株だけの彼岸花...
ほらぁ,アゲハ蝶さん! わたしはここよ^^
貴方にだけ,わたしをあげる^^

そっ,そんなにむしゃぶりつかなくたってぇ,わたしは貴方だけのもの^^
ゆっくりと...そうそう...その調子!

あ,

いっ いかないで!

ふぅ...
また独りぼっち...でも大丈夫!
わたしは強い! わたしは負けないから(#^.^#)
ほらぁ,アゲハ蝶さん! わたしはここよ^^
貴方にだけ,わたしをあげる^^
そっ,そんなにむしゃぶりつかなくたってぇ,わたしは貴方だけのもの^^
ゆっくりと...そうそう...その調子!
あ,
いっ いかないで!
ふぅ...
また独りぼっち...でも大丈夫!
わたしは強い! わたしは負けないから(#^.^#)
《2011年夏》 出雲大社の「睡蓮」
2011年09月06日
今年の夏休み。かなり疲れていた私は、現実から逃避するが如く広範囲に動き回りました.
「犬も歩けば棒にあたる」を信じて、無計画!という立派な計画を立てて(笑)夏休みを迎えたのでした.
向かった先は出雲.「神社の中の神社」でおわします出雲大社の境内.朝霧が残る静寂の中で,誰にも観られないように,誰にも見逃されないように,睡蓮たちは佇んでいました.
彼女たちを「白い妖精」と呼びましょう^^
しかし,何故? 神社境内に「睡蓮」なのか?




「犬も歩けば棒にあたる」を信じて、無計画!という立派な計画を立てて(笑)夏休みを迎えたのでした.
向かった先は出雲.「神社の中の神社」でおわします出雲大社の境内.朝霧が残る静寂の中で,誰にも観られないように,誰にも見逃されないように,睡蓮たちは佇んでいました.
彼女たちを「白い妖精」と呼びましょう^^
しかし,何故? 神社境内に「睡蓮」なのか?
宇陀松山夢街道町並みライトアップ
2011年08月28日
大宇陀の久保本家のご主人にお誘いいただき,今年も「宇陀松山夢街道町並みライトアップ(8月27日)」に馳せ参じました.


ファンの方も多いと思いますが,ここは江戸時代からの古民家・商家・造り酒屋さんを中心とした落ち着いた町並みがよく残っていて,「重要伝統的建造群保存地区」に指定されています.
格子と硝子と光のハーモニーをお楽しみください^^
題して「夏の終わりのハーモニー♪」 典子〜!?(笑)


幼心に少しだけ残っているお爺ちゃん,お婆ちゃんの田舎の家に,タイムトラベル出来ました(^0^)/


こういうイベントはどこへ行っても子供たちが主役です! いつも元気いっぱい(#^.^#) 頼もしい限りです^^




さて,今回も私のクライマックスは,久保本家での酒蔵コンサートです. 演奏者は「チェロアンサンブル # & ♭ 」 昨年に引き続いての登場です!
19時からの部は,本宅の敷地内で行われましたが,立錐の余地が無いほどの盛況ぶりでした^^

20時からの部は,普段聴くことがあまりできないチェロ6台による演奏会. 宇宙戦艦ヤマトやルパン三世,となりのトトロ,崖の上のポニョなど,今の子供たちにも昔の子供たち(笑)にも十分楽しめる演奏内容でした(#^.^#)



この夏いろいろなイベントに顔を出しましたが,世の中良く出来たもので,ちょっと疲れたなぁ,と思ったときにはこの大宇陀でのイベントであったり,元興寺での地蔵会万灯供養であったり,手作り感の残る地元のイベントで一息つくことができ,再び元気を取り戻すことが出来ました.そういう意味では今週も頑張っていらっしゃるバサラの皆さんには本当に頭が下がります.最後の気力を振り絞って奈良のために...mm 来年は何らかの形でお手伝いしたいと思います.
最後に,スナップ写真いろいろです (#^.^#) 今回もご覧いただきありがとうございました. さぁ,明日から仕事も頑張るぞ!!!







ファンの方も多いと思いますが,ここは江戸時代からの古民家・商家・造り酒屋さんを中心とした落ち着いた町並みがよく残っていて,「重要伝統的建造群保存地区」に指定されています.
格子と硝子と光のハーモニーをお楽しみください^^
題して「夏の終わりのハーモニー♪」 典子〜!?(笑)
幼心に少しだけ残っているお爺ちゃん,お婆ちゃんの田舎の家に,タイムトラベル出来ました(^0^)/
こういうイベントはどこへ行っても子供たちが主役です! いつも元気いっぱい(#^.^#) 頼もしい限りです^^
さて,今回も私のクライマックスは,久保本家での酒蔵コンサートです. 演奏者は「チェロアンサンブル # & ♭ 」 昨年に引き続いての登場です!
19時からの部は,本宅の敷地内で行われましたが,立錐の余地が無いほどの盛況ぶりでした^^
20時からの部は,普段聴くことがあまりできないチェロ6台による演奏会. 宇宙戦艦ヤマトやルパン三世,となりのトトロ,崖の上のポニョなど,今の子供たちにも昔の子供たち(笑)にも十分楽しめる演奏内容でした(#^.^#)
この夏いろいろなイベントに顔を出しましたが,世の中良く出来たもので,ちょっと疲れたなぁ,と思ったときにはこの大宇陀でのイベントであったり,元興寺での地蔵会万灯供養であったり,手作り感の残る地元のイベントで一息つくことができ,再び元気を取り戻すことが出来ました.そういう意味では今週も頑張っていらっしゃるバサラの皆さんには本当に頭が下がります.最後の気力を振り絞って奈良のために...mm 来年は何らかの形でお手伝いしたいと思います.
最後に,スナップ写真いろいろです (#^.^#) 今回もご覧いただきありがとうございました. さぁ,明日から仕事も頑張るぞ!!!
ならまちの人たちの心の温かさが息づく「元興寺地蔵会万灯供養」
2011年08月26日
皆さんこんにちは!今日もわたくしミス奈良(bot)が奈良の伝統行事「元興寺地蔵会万灯供養」のご案内をさせていただきます^^

あ,折角ですので,わたくしのうしろ姿なんぞも(#^.^#)

8月23日24日の二日間,元興寺地蔵会万灯供養が行われました.助手の韓流,あっいや,三流カメラマンは今回が初めてということもあってか,めちゃくちゃ感激しておりました.理屈の大好きなこのカメラマン,何故こんなに感激したかというと...このような理屈をこねておりました^^
8月の奈良市内の行事は,燈花会に始まり,春日大社万燈籠,東大寺万灯供養会,バサラ祭りと続きますが,どちらかと言えば奈良市内外から幅広く沢山の皆さんにお越しいただく行事であるのに対して,この元興寺地蔵会万灯供養は,そういう意識を持ちながらも,地元の人たちのための地元の人たちによる手作り感あふれる行事,といった色彩が強いです.「あれダメ!これダメ!そこに入っちゃダメ!」というようなダメダメ感は全く無く,それぞれがそれぞれの領分で行事を楽しむ,っていう感覚が,逆にすごく新鮮で魅力的に映ります.

そして,時間の経過と共に境内の雰囲気は刻々と移り変わり,3時間以上居ても精神的にも視覚的にも全く飽きることがない,そんな異次元空間が現出しているのです.

また,今年の特徴としては,矢張り東日本大震災で無念にも命を落とされた方々への哀悼の気持ちが溢れていた,ことでしょう.本堂内には各界の著名人の方々が寄贈された灯籠が展示されていましたが,カメラマンが一番心を打たれたのが,「青葉城恋唄」のさとう宗幸さんの灯籠です.

余生は故郷の再生に尽くす...何かこの写真を見ているだけでも涙腺が緩んできます...(注釈: たまたまカメラマンは,7月に行われた驚愕のピアニスト,平原誠之さんのピアノコンサートで,自分がリクエストした「青葉城恋唄」を平原さんが奏でてくれたこともあって,多少涙脆くなっております.ご容赦くださいmm)
前置きが大変長くなりましたが,感動のお裾分けを皆さまに(^0^)/ またお逢いできて本当に嬉しかったです.今回もご覧頂きまして本当にありがとうございました(松平アナウンサー調)^^









万灯供養に使われるお皿も手作りです.来年のお皿をこうやって今年の来場者に作成してもらっています.勿論無料! あ,これはカメラマンの作品です^^珍しく褒められたと思ったら,皆んな同じように褒められていました(苦笑)



この外国人カップルも非常に熱心に写真撮影! クールジャパンを満喫していただきました^^








時間の変化と共に,刻々と雰囲気が変わってきたことをご堪能いただけましたでしょうか?



あ,折角ですので,わたくしのうしろ姿なんぞも(#^.^#)
8月23日24日の二日間,元興寺地蔵会万灯供養が行われました.助手の韓流,あっいや,三流カメラマンは今回が初めてということもあってか,めちゃくちゃ感激しておりました.理屈の大好きなこのカメラマン,何故こんなに感激したかというと...このような理屈をこねておりました^^
8月の奈良市内の行事は,燈花会に始まり,春日大社万燈籠,東大寺万灯供養会,バサラ祭りと続きますが,どちらかと言えば奈良市内外から幅広く沢山の皆さんにお越しいただく行事であるのに対して,この元興寺地蔵会万灯供養は,そういう意識を持ちながらも,地元の人たちのための地元の人たちによる手作り感あふれる行事,といった色彩が強いです.「あれダメ!これダメ!そこに入っちゃダメ!」というようなダメダメ感は全く無く,それぞれがそれぞれの領分で行事を楽しむ,っていう感覚が,逆にすごく新鮮で魅力的に映ります.
そして,時間の経過と共に境内の雰囲気は刻々と移り変わり,3時間以上居ても精神的にも視覚的にも全く飽きることがない,そんな異次元空間が現出しているのです.
また,今年の特徴としては,矢張り東日本大震災で無念にも命を落とされた方々への哀悼の気持ちが溢れていた,ことでしょう.本堂内には各界の著名人の方々が寄贈された灯籠が展示されていましたが,カメラマンが一番心を打たれたのが,「青葉城恋唄」のさとう宗幸さんの灯籠です.
余生は故郷の再生に尽くす...何かこの写真を見ているだけでも涙腺が緩んできます...(注釈: たまたまカメラマンは,7月に行われた驚愕のピアニスト,平原誠之さんのピアノコンサートで,自分がリクエストした「青葉城恋唄」を平原さんが奏でてくれたこともあって,多少涙脆くなっております.ご容赦くださいmm)
前置きが大変長くなりましたが,感動のお裾分けを皆さまに(^0^)/ またお逢いできて本当に嬉しかったです.今回もご覧頂きまして本当にありがとうございました(松平アナウンサー調)^^
万灯供養に使われるお皿も手作りです.来年のお皿をこうやって今年の来場者に作成してもらっています.勿論無料! あ,これはカメラマンの作品です^^珍しく褒められたと思ったら,皆んな同じように褒められていました(苦笑)
この外国人カップルも非常に熱心に写真撮影! クールジャパンを満喫していただきました^^
時間の変化と共に,刻々と雰囲気が変わってきたことをご堪能いただけましたでしょうか?
平城京天平祭大花火大会!!!
2011年08月22日
さぁて,皆さま!お待たせいたしました^^これから平城京天平祭大花火大会にご招待します.カメラの腕は半人前ですが,そこはミス奈良のわたくし「織姫」に免じてお許しください(#^.^#)

(外野)あ,こらぁ! 彦星さま! 離れて離れて(笑)

さぁ始まりました!























いよいよ最後です!!!

お楽しみいただけましたか?♪☆\(^0^\)

こうして素晴らしい花火が観れるのも,ご来場いただいた皆さまの応援があってこそですが,皆さまの熱い思いをしっかりと受け止めて下さったのがこのお二人です(^0^)/
いよっ!天平祭の織姫と彦星!(っ`・ω・´)っフレーフレー!!!
(外野)あ,こらぁ! 彦星さま! 離れて離れて(笑)
さぁ始まりました!
いよいよ最後です!!!
お楽しみいただけましたか?♪☆\(^0^\)
こうして素晴らしい花火が観れるのも,ご来場いただいた皆さまの応援があってこそですが,皆さまの熱い思いをしっかりと受け止めて下さったのがこのお二人です(^0^)/
いよっ!天平祭の織姫と彦星!(っ`・ω・´)っフレーフレー!!!
岩合光昭さんの猫ちゃん写真展
2011年08月14日


こんなに皆さんがにニコニコッとして緩んだ空気の写真展はそうはありません(笑)岩合光昭さんの猫ちゃん写真展、お勧めSランクです(^o^)v
先ず入り口での猫型チケットにクスッと(微笑)
飼い主のお母さんにおんぶされている写真にクスックスッと(微笑)
元飼い猫の海ちゃんのコーナーでホロッと(感涙)
必死で大きな魚を引っ張り合っている写真にニコニコッと(笑)
私たちは、猫は表情や仕草が豊かで見ていて楽しい!なんて普段言っていますが、猫は、ではなく、猫を見つめている人間は!であることに気づかされますf(^_^)
もしかしたら「人間」の方が(猫にとっての)ペットなのかも知れませんな(驚愕)
どの写真も楽しいですが、普段の用心深い習性を捉えた、何気ない仕草、物陰からソッと覗いている写真なんかがいいなと。まるで星明子?!
それと、海ちゃんの一連の写真。岩合さんと海ちゃんの愛情とか信頼感まで写し込まれています。8枚一組は、ビートルズのレコードジャケットにヒントを得たのかも(^o^)
岩合さんの写真説明によると、ブルドックと猫ちゃんが縁側で並んでいる写真を撮るときは夕暮れ時で暗かったので、はい息を吸って!止めて!って言いながら撮影したそうです(笑)
静岡の茶畑で撮ったのは、茶畑のご主人が下で必死で支えてくださった(笑)奈良明日香村でのドラえもん似の猫ちゃんとのエピソード、トルコの泳ぎ猫の撮影秘話、新潟のワイナリーの猫ちゃんのあだ名が「叶姉妹」(笑)など、お人柄のまま素敵なお話をお聞かせいただきました。
大満足ヾ(^▽^)ノ
大丸京都店では22日まで。その後は、大丸心斎橋店(北館)で9月14日〜26日に開催されます。みなさんも是非どうぞ^^
あ、これは不肖わたくしの作品です。岩合先生の足元にも及びませんが・・・寒い季節でして、しっぽのマフラーが可愛いでしょ!?
歴史は学ぶが、歴史からは学ばない日本人
2011年08月09日
われわれ日本人。 歴史は学ぶが、歴史からは学ばない・・・
自分自身への反省の意味を込めて懺悔しよう。そして、このメンタリティーの欠陥を克服しない限り、また「いつか来た道」に戻り必ず痛い目にあう。
先週のNHKスペシャルは正しく衝撃の内容だった。第二次世界大戦中、日本参謀本部は、米国テニアン島からの特殊任務と思われる無線傍受に成功していた。8月6日の時点では、内容は全く不明だったのでまさかそれが原爆投下部隊と見破れなかったことは仕方ない。しかし、空襲警報一つ鳴らさずに無防備なまま原爆投下に至らしめたことは「念のため警戒しておくように」という正常な判断がなされなかったためであり、全くもって後悔してもし切れない事実である。
爆心地近くに居たにも関わらず防空壕内に居た学徒動員の女性が生存していて、朝礼をしていた仲間が全て亡くなったと悔しがっていた。空襲警報さえ鳴っていれば…と(悔)
似たようなことが、福島でも起きた。住民に避難指示を出したとき、放射性物質の大気拡散シュミレーションがなされていたにも関わらず、それを非公表としたばかりに、高濃度拡散方向の北西方向へ避難した人々が数多く出てしまった!!(怒)
更に怒りは頂点に達する! 8月9日早朝。8月6日と同じ種別の暗号が傍受された。前日(前前日?)に、新型爆弾の暗号を傍受したとして顕彰されたばかりの俊英たちは、直ぐ様参謀本部の上層部へ伝達した。長崎へ原爆が投下される5時間以上前のこと。当然迎撃体制が取られると思いきや…
またもや黙殺!!!!(怒)短期間での複数回使用は有り得ない、と高をくくったことと、ソヴィエトの宣戦布告への対応で会議が長引いている間に、手遅れとなり…
九州の防衛にあたっていた大村基地には、まだ若干の航空機が配備されており、B29を迎撃できる上昇能力に優れた紫電改も居たというのに…(大怒)
これが日本人の一番の弱点だ。事実を直視して本質を理解したロジカルな対応ができない、ことが往々にして起こる。しかも最も重要な局面で。何が頭をよぎるのだろうか?「保身」「ことなかれ」「先輩後輩」「上司部下」「好き嫌い」「見栄・虚栄心」「無責任」…恐らく通常状態では拒絶するような囁きに、どうして身を委ねてしまうのだろう?
棺桶に足を突っ込むまで、自問自答し戦い続けることしか、私には出来ない。私には、それしか出来ないのだmm
隠れ家のご紹介!スペインbar 「Salud!(サルー)」
2011年07月04日
お店のご紹介をしようと思って、いつも後で気がつくこと...それは、お料理の写真を撮り忘れていることです(苦笑) でも,自信をもってお勧めします^^Salud!(サルー)
日本語で「乾杯!」というこのお店は,大阪市中央区糸屋町,中大江公園西側にあります.マイドーム大阪から2分,地下鉄谷町四丁目駅,天満橋駅,堺筋本町から7分くらい.ビルの地下に降りたところです.
06-6944-0034 (月曜日休日)


入り口は,マドリッドやバルセロナの路地裏にもありそうな,なかなかの雰囲気です^^


店内は,いろいろなアクセントが所狭しと並べられ,スペインらしさを醸し出してくれています.
もちろん生ハムも^^ イベリコとセラーノの二種類が.






メニューは多彩でしかもリーズナブル!
何でも美味しいですが,特にお勧めは,トルティージャ(スペイン風オムレツ),ソパ・デ・アホ(にんにくと玉葱のスープ),パエージャ(パエリア)などなど.ガーリックトーストを片手に,赤ワインでSalud!(乾杯)すれば,気分は陽気なエスパニョール!オレィ!(笑)
このお店の経営者はお二人の美人料理人^^非常に気さくな名コンビです. どんだけぇ~?...是非お店でお確かめくださいね(笑)




日本語で「乾杯!」というこのお店は,大阪市中央区糸屋町,中大江公園西側にあります.マイドーム大阪から2分,地下鉄谷町四丁目駅,天満橋駅,堺筋本町から7分くらい.ビルの地下に降りたところです.
06-6944-0034 (月曜日休日)
入り口は,マドリッドやバルセロナの路地裏にもありそうな,なかなかの雰囲気です^^
店内は,いろいろなアクセントが所狭しと並べられ,スペインらしさを醸し出してくれています.
もちろん生ハムも^^ イベリコとセラーノの二種類が.
メニューは多彩でしかもリーズナブル!
何でも美味しいですが,特にお勧めは,トルティージャ(スペイン風オムレツ),ソパ・デ・アホ(にんにくと玉葱のスープ),パエージャ(パエリア)などなど.ガーリックトーストを片手に,赤ワインでSalud!(乾杯)すれば,気分は陽気なエスパニョール!オレィ!(笑)
このお店の経営者はお二人の美人料理人^^非常に気さくな名コンビです. どんだけぇ~?...是非お店でお確かめくださいね(笑)
池田小学校事件から早くも10 年
2011年06月12日
2001年のあの時のことは、今でも忘れることが出来ません。
あまりにも凄惨な事件をきっかけに、私はある行動に出ました。
折しも2002年の日韓ワールドカップの前年。前哨戦となるコンフェデレーションズカップが開催されていました。
スペイン駐在中に、欧州でのサッカーの試合が文化に溶け込み、人々の安寧に活用されている様子を目の当たりにしていたこともあって、直ぐに「子供たちへの黙祷」を思いつきました。
即ち、コンフェデレーションズカップ決勝戦のキックオフの前に、選手観客全員で黙祷し追悼しよう!
何とかこの思いを、当時の日本サッカー協会と、会長の岡野俊一郎さんに伝えたい!さながらクレーマーまがいに必死で訴えました(笑)今ならちょっとやばいかも、ですねf(^_^)
サッカー協会は簡単に分かり、電話とファックスで何回か念を押しました。
飽きたらず、岡野会長に直訴しよう(笑)岡野さんみたいな文化人は文京区あたりに住んでいるに違いない!と、104電話案内で同姓同名の方の番号を聞き出すことに成功!?緊張しながら掛けること数回…
只今留守にしています…
仕方なく、留守電に電話の趣旨を丁寧に伝えました。
それでも心配で、留守電がファックスに切り替わることをいいことに、熱いメッセージを一枚流しました。
いよいよ試合当日…日本とフランスの決勝戦!
私の興味は試合ではなく、選手が黙祷をするかどうか?!その1点に集中しています。
(;'□')アッ!!
…
黙祷…
私は夢見心地に、涙で歪んだテレビ画面を半ば呆然と眺めました。
誰かがそうしようと決めたことですが、そうならなかったことも十分にあったわけで、その後の試合内容はそっちのけで、ただ黙祷をしてくれたことだけでよかったな、と余韻に浸り続けました
私たちは、自分自身の小さな一歩が本当に小さく見えてしまいがちですが、実はそうではないことを自覚して、気分良く世のため人のために行動すべきなのでしょう(^o^)
気持ちが伝われば、世の中を動かすことができる!
いつもそんな夢追い人のような(笑)毎日を、コツコツ積み上げていきたいと思う今日この頃です(^o^)v

日本民族の本質に迫る、歴史に残る名スピーチ by 村上春樹
2011年06月12日
海外赴任している頃、外国人のパートナーから「日本人とは?日本民族とは?」という質問をされたことがありました。語学力の問題以前に、そういう日本人・日本民族というアイデンティティーをそれまであまり考えたことがありませんでしたので、まともに答えられませんでした。本当に恥ずかしく、また悔しい思いをしたように記憶しています。

その後帰国し、日常の喧騒に紛れて、答えられなかった恥ずかしさや悔しさは忘却の彼方...
しかし今、村上春樹さんのスピーチに接し、再び日本人のDNAを揺さぶられるような感覚に襲われました。
そして、もう一度向き合おう!と...

原文はネットからの借用ですが、是非皆さんにもご覧いただき、何か思うところを共有したいと思います。ご紹介くださった、東大寺の森本公穣さんに心から感謝いたしますmm
9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)
「非現実的な夢想家として」
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。(バルセロナ共同)

村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下)
2011年6月10日 19時0分 更新:6月10日 19時9分
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)

その後帰国し、日常の喧騒に紛れて、答えられなかった恥ずかしさや悔しさは忘却の彼方...
しかし今、村上春樹さんのスピーチに接し、再び日本人のDNAを揺さぶられるような感覚に襲われました。
そして、もう一度向き合おう!と...
原文はネットからの借用ですが、是非皆さんにもご覧いただき、何か思うところを共有したいと思います。ご紹介くださった、東大寺の森本公穣さんに心から感謝いたしますmm
9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)
「非現実的な夢想家として」
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。(バルセロナ共同)
村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下)
2011年6月10日 19時0分 更新:6月10日 19時9分
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)
天平行列「伎楽隊」最高のパフォーマンス!!
2011年04月30日
「花は盛りに,月は隈なきをみるものかは!」いよいよ遷都1301年目にして,新たに「平城京天平祭」が始まりました!
もうこのお姿を見るだけで,1300年前にタイムスリップです^^

初日の29日は,ちびっこ書道パフォーマンスのお手伝いをさせていただきましたが,その合間を縫ってパチリパチリ(笑)
舞台の後ろから観た伎楽隊(確か天理大学の関係者の皆さん?!)のパフォーマンスは最高でした!!!

私たちは,今年からの数年間こそが,奈良にとって一番大切な時期ではないかと思っています.昨年の1300年祭にお越しいただいた世界中の皆さんに,いかにしてリピーターとなっていただくか?地元の私たちはそれにどう応えるか?本当に正念場です.

そんな心配を,伎楽隊の皆さんは,プロフェッショナルとしての見事な立ち振る舞いで吹き飛ばしてくださいましたmm 本当にありがとう.素晴らしかったです.
そんな様子を,皆さんにお裾分けしたいと思います.あ,本当に限られた時間と場所の制約がある中でしたので,そのことはお許し願いたいmm



今日30日は9団体による勇壮な和太鼓パフォーマンスが繰り広げられます.10時30分~16時までお楽しみになれますので,是非たくさんの皆さまのお越しをお待ちしています.わたしは今日明日と念願のカメラ係です(笑)
















もうこのお姿を見るだけで,1300年前にタイムスリップです^^
初日の29日は,ちびっこ書道パフォーマンスのお手伝いをさせていただきましたが,その合間を縫ってパチリパチリ(笑)
舞台の後ろから観た伎楽隊(確か天理大学の関係者の皆さん?!)のパフォーマンスは最高でした!!!
私たちは,今年からの数年間こそが,奈良にとって一番大切な時期ではないかと思っています.昨年の1300年祭にお越しいただいた世界中の皆さんに,いかにしてリピーターとなっていただくか?地元の私たちはそれにどう応えるか?本当に正念場です.
そんな心配を,伎楽隊の皆さんは,プロフェッショナルとしての見事な立ち振る舞いで吹き飛ばしてくださいましたmm 本当にありがとう.素晴らしかったです.
そんな様子を,皆さんにお裾分けしたいと思います.あ,本当に限られた時間と場所の制約がある中でしたので,そのことはお許し願いたいmm
今日30日は9団体による勇壮な和太鼓パフォーマンスが繰り広げられます.10時30分~16時までお楽しみになれますので,是非たくさんの皆さまのお越しをお待ちしています.わたしは今日明日と念願のカメラ係です(笑)
4月29日平城京天平祭いよいよ開幕!
2011年04月17日
昨年5月9日の平城遷都祭ピースメッセージから早いもので,もう1年経ちました.
わたしは幸せなことに,250名もの神官・僧侶の皆さまを大極殿前まで先導する役割を担うことができました.
希望に満ち満ちて...
今年も4月29日12時より,多くの神仏宗教者の皆さまのご協力で,般若心経を唱える機会が持たれます.しかしそれは,東日本大震災被災地の皆さんに思いを馳せて,共に深い悲しみを分かち合い,共に前へ進んでいくために...
私たちは,被災地の皆さんと「縷(る)」で結ばれているのだ!
(合 掌)
平城京天平祭は4月29日に開幕します.
【4月29日開幕初日イベント-大極殿前-】
◎11:00 天平行列
◎12:00 祈りのメッセージを送ろう(神仏とともに手をたずえて~天平祭で被災地に向けた祈り~)
◎14:00 ちびっこ書道パフォーマンス
たくさんの皆さまのご参加をお願いいたしますmm
聖武天皇の衣裳お披露目!4月29日天平行列準備進行中!
2011年04月16日
昨年平城遷都1300年記念祭が奈良県各地で行われ,「今年は祭りのあと」と思っている皆さんへ!
その考えは間違っています!(笑)
来るべき「聖武天皇即位1300年」「東大寺大仏建立1300年」などのプロローグとなる「今年は新たな第一歩の年」なのです^^
ちょっと力み過ぎましたが(笑)その名も「平城京天平祭」と改め,地に足の着いた心温まるお祭りにして,みんなで奈良を盛り上げていきたいと思います.またお祭りに際し,大震災に見舞われた東日本の被災地の皆さまに思いを馳せて,心の中で手を合わせ,どんな形でもいいので少しでもお力になれるよう念じ,行動してまいる所存です.
前置きが長くなりましたが,平城京天平祭の準備はボランティアの手で着々と進んでいます.昨年今年と「一番の縁の下の力持ち」は「衣裳係」の皆さん.衣裳係の皆さんのご努力なくして,遷都祭も平城京天平祭も天平行列も成立しません!本当にありがとうございますmm
ということで,出来たてホヤホヤの皇族衣裳をお披露目いたします^^
まずは元明天皇さまの衣裳.どんな美しい方がお召しになられるのでしょうか?楽しみです^^

続いて,聖武天皇さまの衣裳.高貴な色合いは威厳を感じさせます!

次は,淳仁天皇さまの衣裳.颯爽とした印象です^^

トリは,光仁天皇さまの衣裳.落ち着いた色合いです^^

昨年はこういう貴族用の衣裳から庶民の衣裳まで何と1300着以上準備いただきました.改めて深く御礼を申し上げます.私たちは,これらの衣裳を大切に大切に次の年次の年と伝えていなかければなりません.そのことを肝に銘じた一日でもありました.
その考えは間違っています!(笑)
来るべき「聖武天皇即位1300年」「東大寺大仏建立1300年」などのプロローグとなる「今年は新たな第一歩の年」なのです^^
ちょっと力み過ぎましたが(笑)その名も「平城京天平祭」と改め,地に足の着いた心温まるお祭りにして,みんなで奈良を盛り上げていきたいと思います.またお祭りに際し,大震災に見舞われた東日本の被災地の皆さまに思いを馳せて,心の中で手を合わせ,どんな形でもいいので少しでもお力になれるよう念じ,行動してまいる所存です.
前置きが長くなりましたが,平城京天平祭の準備はボランティアの手で着々と進んでいます.昨年今年と「一番の縁の下の力持ち」は「衣裳係」の皆さん.衣裳係の皆さんのご努力なくして,遷都祭も平城京天平祭も天平行列も成立しません!本当にありがとうございますmm
ということで,出来たてホヤホヤの皇族衣裳をお披露目いたします^^
まずは元明天皇さまの衣裳.どんな美しい方がお召しになられるのでしょうか?楽しみです^^
続いて,聖武天皇さまの衣裳.高貴な色合いは威厳を感じさせます!
次は,淳仁天皇さまの衣裳.颯爽とした印象です^^
トリは,光仁天皇さまの衣裳.落ち着いた色合いです^^
昨年はこういう貴族用の衣裳から庶民の衣裳まで何と1300着以上準備いただきました.改めて深く御礼を申し上げます.私たちは,これらの衣裳を大切に大切に次の年次の年と伝えていなかければなりません.そのことを肝に銘じた一日でもありました.
神仏降臨~又兵衛桜七変化!
2011年04月10日
「これこれ東西寺南北堂さん,そろそろじゃよ!」
又兵衛桜さんに呼ばれました.寝坊介のわたしの目は,何故か朝4時にパッチリ!車を一時間走らせて,日の出20分前に到着しました.
駐車場には,数多くの県外ナンバーの車が!名古屋,愛媛,三重,三河...みんな又兵衛桜さんに呼ばれたのでしょうか(笑)田んぼのあぜ道や道端には,ゆうに50人は超えるカメラマンが列をなして,シャッターチャンスを今か今かと待っています.


又兵衛桜さんが今日わたしを呼んだ理由...それは,この七変化^^


神さま,仏さまが次から次へと舞い降りて,その都度又兵衛桜さんがお着替えをしているよな,そんな光景でした^^


又兵衛桜さんは,押し寄せる朝霧の濃淡を楽しみながら,お日さままでも従えて,私たちを励ましてくれました!


「東西寺南北堂さんや!明けない夜はないんじゃ^^晴れない霧もない^^手と手を携えて頑張るんじゃよ^^」


厳冬期に訪れた又兵衛桜.その時は沈黙をもって諭してくださいましたが,7分咲きの今日は,私たちにそう語りかけてくださいました.被災者の皆さんにも又兵衛桜さんのメッセージが届きますようにmm
(合掌)
又兵衛桜さんに呼ばれました.寝坊介のわたしの目は,何故か朝4時にパッチリ!車を一時間走らせて,日の出20分前に到着しました.
駐車場には,数多くの県外ナンバーの車が!名古屋,愛媛,三重,三河...みんな又兵衛桜さんに呼ばれたのでしょうか(笑)田んぼのあぜ道や道端には,ゆうに50人は超えるカメラマンが列をなして,シャッターチャンスを今か今かと待っています.
又兵衛桜さんが今日わたしを呼んだ理由...それは,この七変化^^
神さま,仏さまが次から次へと舞い降りて,その都度又兵衛桜さんがお着替えをしているよな,そんな光景でした^^
又兵衛桜さんは,押し寄せる朝霧の濃淡を楽しみながら,お日さままでも従えて,私たちを励ましてくれました!
「東西寺南北堂さんや!明けない夜はないんじゃ^^晴れない霧もない^^手と手を携えて頑張るんじゃよ^^」
厳冬期に訪れた又兵衛桜.その時は沈黙をもって諭してくださいましたが,7分咲きの今日は,私たちにそう語りかけてくださいました.被災者の皆さんにも又兵衛桜さんのメッセージが届きますようにmm
(合掌)
核の「被害者」から「加害者」へ,そして100年後の歴史書へ
2011年04月09日
どうにも怒りが収まらない!
日本人としての誇り高き矜持を,いとも簡単に失ってしまった...
勿論,放射能汚染水の海への排出のことである.さらっと,あっさりと海に流してしまう国際感覚のかけらも無い無能ぶりに,わたしの血圧はとうに200を超えてしまった!
「止むを得なかった措置」だったのだろう.百歩譲って「どうにも仕方なかった」としよう.そう信じよう...しかし,である!仮にそうだとしても,わたしなら,こうする.
NHKアナウンサー「あ,ここで緊急ニュースが入りました.間もなく,菅総理大臣の緊急記者会見が始まるとのことです.カメラを首相官邸に切り替えます!」
菅総理大臣「国民の皆さん,世界の皆さん,わたしは日本国の総理大臣として,極めて重大な決断をいたしました.大変残念なことであり,地球に暮らす全ての生きとしいけるものに,日本国を代表して心よりお詫び申し上げるものです.勿論先ほど国連やIAEAをはじめとした国際機関,近隣諸国の政府代表者にわたしから直接電話をかけて,今回の決断に至った経緯と影響,そして心からのお詫びの気持ちを表して,了解を取り付けております.わたしは,今回の福島原発事故によって発生した放射能汚染水の,海洋への緊急排出を認める決断をいたしました.実施日は○○,その量は○○であり,汚染度合いは○○であります...(中略)」
「国民の皆さんに申し上げたい.この行為によって日本民族の矜持を失ってはなりません!まだまだ原発事故は予断を許さない状況であり,今後も更に重大な決断を下さなければならない局面が来ることも十分に想定されますが,日本民族の全ての叡智を結集して,誠心誠意適宜適切な対応をしていくことをお約束します.そして,国民の皆さまと手と手を携えて,力強く慎み深く,世界の信頼を回復すべくあらゆる努力をしてまいります.最後にもうひとつ.国民一人ひとりがこの国難に際して何が出来るかを自ら考え,行動してもらいたい.政府が皆さんに出来ることは残念ながら限られています.日本民族としての底力の発揮を期待しています!共に頑張りましょう!」
(嗚呼やんぬる哉)
しかし,わたしは日本人の底力を信じて,次世代リーダーの皆さんを微力ながら応援し,日本国の信頼回復に努めていきます!
100年後の歴史書「日本国は,史上まれに見る災害と原発事故によって大きなダメージを受け,存亡が一時危ぶまれた.しかし,見事な復興を遂げ信頼回復を成しえて世界のリーダーとなった今(100年後),その時に払われた国民一人ひとりの叡智と努力は,今なおその輝きを増し続け,世界平和・環境保全の道標となっています.」
(合 掌)

日本人としての誇り高き矜持を,いとも簡単に失ってしまった...
勿論,放射能汚染水の海への排出のことである.さらっと,あっさりと海に流してしまう国際感覚のかけらも無い無能ぶりに,わたしの血圧はとうに200を超えてしまった!
「止むを得なかった措置」だったのだろう.百歩譲って「どうにも仕方なかった」としよう.そう信じよう...しかし,である!仮にそうだとしても,わたしなら,こうする.
NHKアナウンサー「あ,ここで緊急ニュースが入りました.間もなく,菅総理大臣の緊急記者会見が始まるとのことです.カメラを首相官邸に切り替えます!」
菅総理大臣「国民の皆さん,世界の皆さん,わたしは日本国の総理大臣として,極めて重大な決断をいたしました.大変残念なことであり,地球に暮らす全ての生きとしいけるものに,日本国を代表して心よりお詫び申し上げるものです.勿論先ほど国連やIAEAをはじめとした国際機関,近隣諸国の政府代表者にわたしから直接電話をかけて,今回の決断に至った経緯と影響,そして心からのお詫びの気持ちを表して,了解を取り付けております.わたしは,今回の福島原発事故によって発生した放射能汚染水の,海洋への緊急排出を認める決断をいたしました.実施日は○○,その量は○○であり,汚染度合いは○○であります...(中略)」
「国民の皆さんに申し上げたい.この行為によって日本民族の矜持を失ってはなりません!まだまだ原発事故は予断を許さない状況であり,今後も更に重大な決断を下さなければならない局面が来ることも十分に想定されますが,日本民族の全ての叡智を結集して,誠心誠意適宜適切な対応をしていくことをお約束します.そして,国民の皆さまと手と手を携えて,力強く慎み深く,世界の信頼を回復すべくあらゆる努力をしてまいります.最後にもうひとつ.国民一人ひとりがこの国難に際して何が出来るかを自ら考え,行動してもらいたい.政府が皆さんに出来ることは残念ながら限られています.日本民族としての底力の発揮を期待しています!共に頑張りましょう!」
(嗚呼やんぬる哉)
しかし,わたしは日本人の底力を信じて,次世代リーダーの皆さんを微力ながら応援し,日本国の信頼回復に努めていきます!
100年後の歴史書「日本国は,史上まれに見る災害と原発事故によって大きなダメージを受け,存亡が一時危ぶまれた.しかし,見事な復興を遂げ信頼回復を成しえて世界のリーダーとなった今(100年後),その時に払われた国民一人ひとりの叡智と努力は,今なおその輝きを増し続け,世界平和・環境保全の道標となっています.」
(合 掌)
生きる意味を問い直させられる日々
2011年03月25日

ゴーギャン曰わく「われわれはどこから来たのか?われわれは何者なのか?われわれはどこに行くのか?」
われわれは日本という豊穣の地に生まれ、他のどの国よりも四季の恵みを受け、「お互い様」に象徴される豊かな精神性の中で「人間らしい」生活をしていた。
最低、かの3月11日14時46分までは…
しかし…
全ての有りようが変わるかも知れない!!われわれは、そんな気色悪さの真っ只中に突き落とされたのだ。
改めて「生きる意味」を問い直してみる。
それは…
誰か(何か)の役に立つこと。
そうやって生きるための対価を得て、そうやって居場所を見つけて、そうやって子孫に恵まれ、そうしてまた、土に返る…
ゴーギャンという画家は、自分の味わった天国と地獄の経験から、人生の集大成として描いた絵に、冒頭の長ったらしい題をつけた。
われわれ日本人は、岐路に立たされたこの日本で、これからどんな絵(国のかたち)を描くのだろうか?
われわれ一人ひとりに突きつけられた問いである。
お亡くなりになられた皆さま、関係者の皆さまに心の中でそっと手を合わせる…心よりお見舞い申し上げますm(_ _)m
何かを取り戻したひと時「チャリティーコンサート in 堺筋」
2011年03月21日
私たちは...思い...寄り添い...祈り...そして...唄いました...

東北関東大震災の一週間後の18日金曜日,被災者支援チャリティーコンサートを開催いたしました.

場所は大阪市内堺筋界わいの4ヶ所.大阪証券取引所ビル,五感・北浜本館,浪花教会,船上(大川)です.特に19時からの浪花教会には,本当にたくさんの皆さんにお越しいただきました.
思いを共有する者同志が,素敵な音楽を通して心ひとつになる...何か少し息苦しいほどの空気が流れ,時間があっという間に過ぎ去りました.
私たち一人ひとりに出来ることは限られていますが,思いを結集すると凄い力が発揮できる...もしかしたらそんな簡単なことでさえ,普段の日常生活では忘れ去っていたのかも知れません.
私たちは,このコンサートで少し力を取り戻しました.被災地の皆さんにも何かをお届けすることが出来るようになったと思います。
復興の険しい道のりは始まったばかりですが、不必要に縮こまることなく,笑顔と元気を取り戻して普通に頑張っていくことこそ,今最も大切なことであると肝に銘じたいと思います.
それにしても音楽の力は本当に素晴らしい!
ご来場いただいた皆さん,ご協力いただいた皆さん,このサイトをご覧いただいた皆さん,本当にありがとうございましたmm






(浪花教会コンサート司会者ナレーション)
皆さんこんばんは!
本日は大変お忙しい中、堺筋アメニティ・ソサエティ主催のチャリティーコンサートにお越しいただき、誠にありがとうございます。また、東北・関東大震災の被災地の皆さまに対し、心よりお見舞い申し上げます。
さて,このコンサートは元々「堺筋街角コンサート」として計画されていたものですが、先週金曜日、人類史上まれに見る大災害が発生したことを受けて、開催が危ぶまれる事態となりました。関係者間で熟慮に熟慮を重ねました結果、被災された方々への支援のための「チャリティーコンサート」として予定通り開催することを決断いたしました。
もちろん、今のあまりの悲惨な状況を鑑みると、「自粛・中止」という選択肢もありました。しかし「音楽でこの街を元気にしたい」ひいては「被災地の皆さんの何らかの力になりたい」「ムードを変えたい」という強い思いで、関係各方面のご理解を得て、今こうして皆さんにお越しいただくことができるようになりました。ご来場の皆さま、背中を押してくださった関係者の皆さま、本当にありがとうございました。心より感謝いたします。
私たちのそのような思いを、ステキな音楽に載せて、被災地の皆さんにお届けしましょう!
東北関東大震災の一週間後の18日金曜日,被災者支援チャリティーコンサートを開催いたしました.
場所は大阪市内堺筋界わいの4ヶ所.大阪証券取引所ビル,五感・北浜本館,浪花教会,船上(大川)です.特に19時からの浪花教会には,本当にたくさんの皆さんにお越しいただきました.
思いを共有する者同志が,素敵な音楽を通して心ひとつになる...何か少し息苦しいほどの空気が流れ,時間があっという間に過ぎ去りました.
私たち一人ひとりに出来ることは限られていますが,思いを結集すると凄い力が発揮できる...もしかしたらそんな簡単なことでさえ,普段の日常生活では忘れ去っていたのかも知れません.
私たちは,このコンサートで少し力を取り戻しました.被災地の皆さんにも何かをお届けすることが出来るようになったと思います。
復興の険しい道のりは始まったばかりですが、不必要に縮こまることなく,笑顔と元気を取り戻して普通に頑張っていくことこそ,今最も大切なことであると肝に銘じたいと思います.
それにしても音楽の力は本当に素晴らしい!
ご来場いただいた皆さん,ご協力いただいた皆さん,このサイトをご覧いただいた皆さん,本当にありがとうございましたmm
(浪花教会コンサート司会者ナレーション)
皆さんこんばんは!
本日は大変お忙しい中、堺筋アメニティ・ソサエティ主催のチャリティーコンサートにお越しいただき、誠にありがとうございます。また、東北・関東大震災の被災地の皆さまに対し、心よりお見舞い申し上げます。
さて,このコンサートは元々「堺筋街角コンサート」として計画されていたものですが、先週金曜日、人類史上まれに見る大災害が発生したことを受けて、開催が危ぶまれる事態となりました。関係者間で熟慮に熟慮を重ねました結果、被災された方々への支援のための「チャリティーコンサート」として予定通り開催することを決断いたしました。
もちろん、今のあまりの悲惨な状況を鑑みると、「自粛・中止」という選択肢もありました。しかし「音楽でこの街を元気にしたい」ひいては「被災地の皆さんの何らかの力になりたい」「ムードを変えたい」という強い思いで、関係各方面のご理解を得て、今こうして皆さんにお越しいただくことができるようになりました。ご来場の皆さま、背中を押してくださった関係者の皆さま、本当にありがとうございました。心より感謝いたします。
私たちのそのような思いを、ステキな音楽に載せて、被災地の皆さんにお届けしましょう!
被災者の皆さんへ「荘厳!春を待つ又兵衛桜(奈良県宇陀市)」
3月18日(金)大阪北浜「浪花教会コンサート」観覧予約受付中
2011年03月07日
以前にこのブログでもご紹介したりそな合唱団さん,チェロアンサンブル#&♭(シャープ&フラッツ)さん,女子大生コーラスグループ「クロッキオ」さんが出演します.
公演は3月18日(金)19時.観覧予約は16日(水)まで受け付けています.たくさんの皆さんのご予約ご観覧をお待ちしています^^
五感・北浜本館さんでのお食事も大変魅力的ですよ!限定10名さまです.





公演は3月18日(金)19時.観覧予約は16日(水)まで受け付けています.たくさんの皆さんのご予約ご観覧をお待ちしています^^
五感・北浜本館さんでのお食事も大変魅力的ですよ!限定10名さまです.



紅梅爛漫!この時期ばかりは薬師寺東塔も脇役^^
2011年03月06日
紅梅爛漫!

(紅梅ちゃんツィッター)
わたしは紅梅.薬師寺さんの南側に居ます.いつもは勿論東塔さんが主役で,わたしたちは脇役ですが,この時期ばかりは主役を譲っていただいています.
お隣には白梅さんがいらっしゃいますが,わたしの方が美人ちゃん^^東塔さんと一緒に撮るのにも,わたしの方の場所が良いですし...ご主人さま(東西寺南北堂)はあわて者で白梅さんの写真撮影もお忘れになりました(苦笑)白梅さんごめんなさいmm

あ,いつも東塔さんにはお世話になっていますので,ご主人さまにお願いして「主役」としての一枚を掲載してもらいました(笑)
東塔さんはもうしばらくしたら改修のためのホロを被られます.わたしが主役で東塔さんとご一緒に撮影させていただけるのも,このあと10年後くらいになります(寂寥感)
東塔さん,早く元気なお姿で復帰してくださいね!!東塔さんがそこに在るからこそ,たくさんの皆さんが喜んでわたしを撮っていただけるのでしょうから...

さあ皆さん,わたしが主役で東塔さんと一緒に撮影いただけるのもあと一週間くらいです.是非いらしてくださいね^^
(紅梅ちゃんツィッター)
わたしは紅梅.薬師寺さんの南側に居ます.いつもは勿論東塔さんが主役で,わたしたちは脇役ですが,この時期ばかりは主役を譲っていただいています.
お隣には白梅さんがいらっしゃいますが,わたしの方が美人ちゃん^^東塔さんと一緒に撮るのにも,わたしの方の場所が良いですし...ご主人さま(東西寺南北堂)はあわて者で白梅さんの写真撮影もお忘れになりました(苦笑)白梅さんごめんなさいmm
あ,いつも東塔さんにはお世話になっていますので,ご主人さまにお願いして「主役」としての一枚を掲載してもらいました(笑)
東塔さんはもうしばらくしたら改修のためのホロを被られます.わたしが主役で東塔さんとご一緒に撮影させていただけるのも,このあと10年後くらいになります(寂寥感)
東塔さん,早く元気なお姿で復帰してくださいね!!東塔さんがそこに在るからこそ,たくさんの皆さんが喜んでわたしを撮っていただけるのでしょうから...
さあ皆さん,わたしが主役で東塔さんと一緒に撮影いただけるのもあと一週間くらいです.是非いらしてくださいね^^
温かい時間と笑顔「スペシャルオリンピックス」大阪
2011年02月27日
ここに来ると,温かい時間がゆったりと流れ,柔らかくて優しい笑顔がそこかしこに溢れている...2月26日土曜日スペシャルオリンピックス大阪大会の記念植樹・銘板序幕式とサンキューパーティーが開かれました.
式典で一番感動したのは,今回の植樹木「サルスベリ」を提供してくださった樽井造園さん.式典が終わり皆さんが居なくなってから,暫くの間手塩にかけて育てた木を慈しむように丁寧に丁寧に地ならしを行っていらっしゃいました.プロとしての誇りとプライドを感じます.本当に素晴らしい!
こちら左側が樽井造園の樽井社長さん,右側が大阪大会実行委員長の馬場さんです^^
是非一度アクセスしてみてください^^ ⇒ http://www.tarui-zoen.com/
⇒ http://tarui-zoen.jugem.jp/
こちらが今回の大阪大会の屋台骨を支えたお二人です.築島さん(左)と井上さん(右).このお二人に実質的な運営主体であった博友会の田中会長さんの三人がいらっしゃらなければ,大阪大会の成功はありませんでした.
式典のあと,サンキューパーティーが開かれました.
400名ものたくさんの人たちで熱気むんむん^^アスリートの皆さんが一人ひとり紹介され,満面の笑顔がはじけました.ファミリーの皆さんも明るい笑顔で目を細めていらしゃいました.
いつも何かを教えてくださる皆さんに,自分なりにこれからも寄り添っていきたいと思っています.皆さん本当にありがとうございました^^
キャンディ仏像ポップアート絵師「太画子」さんご紹介
2011年02月20日
今までも時々ご紹介してきました太画子(たいがし)さん.今回は一挙ご紹介!本日久しぶりにお会いしてきましたが,所謂「気は優しくて力持ちタイプ」で,非常に好感が持てました(笑)
作品をご紹介しましょう!こちらは艶っぽい如意輪観音さま.ちょっと惚れてしまいます(笑)

これは太画子さんのロゴマーク.似てるかも^^

この絵師にかかると,伐折羅大将像はこうなります!

宇宙の摂理を支配される大日如来さまは凄く神秘的!

一方,お釈迦様の世界では幹部中の幹部である帝釈天さまは,こんなイケメン!

迦楼羅(かるら)さまが操る縦笛からはどんな音色が???

極めつけはこの阿修羅さま!誰も描いたことはありません.どうします?!?!

カラフルな伎芸天さま.見ているだけで楽しくなります^^

どうですか?お楽しみいただけたでしょうか?まだまだたくさんの素晴らしい作品がありますので,今後も折に触れてご紹介して参りますmm
あ,ご案内の通り作品は無断掲載禁止です.お問い合わせ先はコチラ^^
http://mb.minx.jp/fgas
作品展などの情報はコチラのブログから^^
http://f-gas.jugem.jp
作品をご紹介しましょう!こちらは艶っぽい如意輪観音さま.ちょっと惚れてしまいます(笑)

これは太画子さんのロゴマーク.似てるかも^^

この絵師にかかると,伐折羅大将像はこうなります!

宇宙の摂理を支配される大日如来さまは凄く神秘的!

一方,お釈迦様の世界では幹部中の幹部である帝釈天さまは,こんなイケメン!

迦楼羅(かるら)さまが操る縦笛からはどんな音色が???

極めつけはこの阿修羅さま!誰も描いたことはありません.どうします?!?!

カラフルな伎芸天さま.見ているだけで楽しくなります^^

どうですか?お楽しみいただけたでしょうか?まだまだたくさんの素晴らしい作品がありますので,今後も折に触れてご紹介して参りますmm
あ,ご案内の通り作品は無断掲載禁止です.お問い合わせ先はコチラ^^
http://mb.minx.jp/fgas
作品展などの情報はコチラのブログから^^
http://f-gas.jugem.jp
いやん!見ないでぇ!
東大寺二月堂修二会お松明用の青竹を掘る!
2011年02月14日
東大寺七重塔の再興を目指し,小さな徳を積み重ねるプロジェクト^^
昨年の大仏さまお身拭いに引き続き,今年は二月堂修二会で活躍するお松明用の青竹を掘って送る行事に参加することが出来ました.
もう何十年も竹送りをされている「仁伸会」の岡本さんのご指導の下,お誘いいただいたならまち通信社の松永さん,寮さんご夫妻や,そのほかのボランティアの皆さんと,大変な重労働でしたが心洗われる素晴らしい体験をさせていただきました.心晴れやか!筋肉痛も何のその(笑)明日からの仕事にも力が入りそうです!!!
さてその竹掘り.11日の大雪を避けて12日に奈良市内某所の竹やぶに分け入りました.
お松明に使用するのは太く真っ直ぐに成長した青竹で最低8メートル必要です.とすれば全長は12メートル以上あり,その根っこは本当に強くて複雑に絡み合い,人の手で発掘するのは大変な重労働です(苦笑)
止む無く重機の力を借りることに(泣)
しかし,土や石を落とし形を整えるのは,全て人間の手によるもの.このときは本当に「無心」になれました^^
根っこを整えていると小さな「たけのこ」さんが!!この命を摘み取ったことを無駄にしないようにしなければ!と神妙な気持ちに^^
現場で皆さんと記念撮影.本当にお疲れ様でした.この後も作業が続きます.
みんなで協力してトラックに積み込み.まだ沢山の土や石が付いていて,滅茶苦茶重かった!
岡本さんの駐車場まで戻り,さらに根っこから土砂を落とす作業をします.途中で文明の利器を使おうとしましたが,矢張りマンパワーではないと上手くいきません.
さて翌13日.朝からいろいろ作業をした後,トラックで奈良太郎(大鐘楼)のところまで青竹を運び込み,そこから二月堂まで「仁伸会の竹送り」として練り歩きました.
ボランティア仲間の安西さんが経営されている「町屋ゲストハウスならまち」に宿泊されていた,スイス人のミカエルさんもお手伝いに駆けつけてくださいました.彼はもしかしたら,この行事に関わった歴史上初めてのスイス人かも知れません!
他の講の皆さんの竹と一緒にこうやって並ぶと本当に壮観です.
ところで大変嬉しいプレゼントが!!岡本さんのご許可をいただいて,奉納の青竹に願いごとを書かせていただくことができました!欲張って一族郎党の名前を書き込んでしまいました(笑)
最後にみんなで記念撮影.取材に来られた某新聞社のイケメン記者の方に撮影していただきました.さすが本職です!ありがとう^^
いつもそうですが,ボランティアは確実に自分自身を成長させてくれるものだと痛感します.1250年以上も綿々と伝えられてきた行事もそれはそれで素晴らしいのですが,それも岡本さんたちのような支える人たちが居て初めて成立することだと,改めて教えられました.そういう「気付き」の積み重ねが,本業に精を出す上で所謂「奥行き」を作ってくれるものだと信じています.
それにしても修二会という行事も支える岡本さんたちも,両者とも本当に大したもの!!世界に誇れる日本の宝物です.橋渡しを務めてくださったならまち通信社の松永さん,寮さんにも心から感謝申し上げます.ありがとうございましたmm
お江ゆかりの地が奈良にも在った!旧宇陀松山藩城跡
2011年02月06日
大河ドラマの主人公「お江」の従兄妹である織田信雄ゆかりの宇陀松山藩ゆかりの城が,この宇陀松山城です.
このお城,実際は織田信雄が藩主となる前に小堀遠州により取り壊されましたが,あの福島正則(築城名人)の次男高晴が南北朝時代からの山城を大規模改修したものとして知られています.
また,ご存知の方も多いと思いますが,フィギュアスケートの織田信成さんは,織田信雄の子孫にあたります.そう考えると妙にロマンを掻き立てられますね!! 皆さんも是非一度足を運んでください.天気の良い日には眺望も最高です^^ご家族連れのハイキングにぴったり!伝統的建築物群保存地区である宇陀松山地区の散策と組み合わせれば,一日楽しめます^^
あ,地元造り酒屋「久保本家」へのお立ち寄りもお忘れなく!ここのお酒の酔い心地は格別で,翌日もすっきりです^^今まさに新酒の季節です.
なお,この城跡の詳細については,5年ほど前に他のマニアの方が素晴らしいブログを書かれていますので,そちらに譲りますが,その時と比較して,今は随分と整備が進んでいました.冒頭の写真と見比べてください.
外部ブログ⇒⇒⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/jyamasiro/24093691.html
左側が本丸跡,右側の高台が天守閣跡,手前が井戸の跡です.
本丸跡の礎石と見られる遺構.結構広々としていて,ハイキングでお弁当!にぴったりの場所です^^
木々を伐採して眺望を拡げています.目の先には高見山が雪をいただいていました.
遠く鳥見山,香酔岳方面を望みます.
(お薦め)道の駅「宇陀路大宇陀」で電動アシスト自転車をレンタルして松山地区をぐるぐる巡ります.中京銀行脇をちょっと上がった春日神社の参道脇から徒歩で山頂へ.10分ちょっとで城跡まで辿り着けます.
荘厳!春を待つ又兵衛桜(奈良県宇陀市)
2011年01月30日
ご存知「又兵衛桜」 雪の残る大地にしっかりと,ひっそりとそびえ立っていらっしゃいました.
300年間人々の営みを応援し続けてくださっているこの桜,2ヵ月後の4月上旬には大変なヒーローとなって皆さんを楽しませてくださいますが,
天邪鬼な私は,今この厳寒の中で孤独に佇むお姿の方に,より感銘を覚えます.背景の夕焼けがほら!薄墨さくら色!!

満開の又兵衛桜も,厳寒を耐え忍ぶ又兵衛桜も,甲乙付けがたい大変な魅力です!皆さんも是非この時期にもいらしてくださいね!自分の迷いや悩みがどんなちっぽけなことなのか,又兵衛さんが沈黙をもって諭してくださいます


さぁ!明日からも頑張ろう!!!
(お薦めは「電動アシスト付きレンタサイクル」)
榛原駅や大宇陀の「道の駅」など5箇所で乗り捨て可能な電動アシスト付きレンタサイクルなら,めちゃめちゃ便利で楽チン!お薦めです^^
私は大宇陀「道の駅宇陀路大宇陀」で拝借.4時間コース(1,000円)で心いくまで楽しめました!又兵衛桜までは約15分ほどです.他にも万葉公園や阿騎野・人麻呂公園,大宇陀温泉「あきののゆ」,勿論重要伝統的建築物群保存地区「松山地区」もすいすいです^^
http://www.kintetsu.co.jp/soukatsu/cycle/renta_cycle.html#dendo
日本人に「心のまほろば」を!薬師寺「まほろば塾」の至福
2011年01月22日
今までご縁がなかったことが本当に勿体なかった!
先週日曜日、第15回まほろば塾に初めて出席させていただいた時の、率直な感想です。
このまほろば塾は、「物で栄えて心で滅びる」ことを憂い「心のまほろば」を説かれた、故高田好胤管長の精神を引き継ぎ、安田前管主が立ち上げられました。
「まほろば」という言葉を、日本文化の象徴として全国に発信したいとの祈りを込めて、一人でも多くの日本人、いな、すべての日本人に「心のまほろば」を呼びかけ、日本のこころの復活を実現したいと念じていらっしゃいます。
奈良大好きの皆さんは、「まほろば」のことはよくご存知ですね(^-^)v
やまとは国のまほろば
たたなづく青垣
山ごもれる
やまとうるはし
この古事記にあるヤマトタケルノミコトの、あまりに有名な歌の一節としてご記憶にあることでしょう。
まほろば塾では、毎回この精神「優れた・美しい」に共鳴されるゲストの皆さんのお話と、安田塾長さんや山田管主さんの有り難いご講話を拝聴できるのです.幕間のデューク更家さん門下生の嬉しいワンポイント体操まで体験でき,これで年間会費はたった5千円.お得感満載です(笑)詳しくは薬師寺さんのホームページでご確認ください。
http://www.nara-yakushiji.com/
さて、第15回のゲストは紺野美沙子さんでした。同世代でもあり、実はご主人が大学の同級生でもあり、これも何かのご縁かなと。残念ながら結婚式に呼ばれるような関係ではなかったですが(笑)

「主人も来ています」と紺野さんが言われた時の,会場に詰めかけたご婦人方のリアクションは最高でした!殆ど全員がさっと身を乗り出して関係者席を覗き込んだのです(笑)彼氏は昔から二枚目で爽やかタイプで鳴らしており、今も相変わらずでしたよ.
話の内容は、国連開発計画「UNDP」の親善大使として様々な発展途上国を廻っていらっしゃる、そのことを通じて何を感じることが出来たか、でした。発展途上国の恵まれない子ども達を目の当たりにすると,女性目線,特に母親目線で何とかしなければ!という使命感が沸々と湧き上がってくる.一方,現地から日本への帰国の途につくと,そこからは日本人であり,母親であり,女優であるためのスイッチングがおこなわれる...
人柄の良さや温かく柔らかでしなやかなお話しぶりの一方で,このような現実をちらっとお見せいただき,テレビ画面を通じてでは分からなかった「人としての奥行き」を感じ取ることが出来ました.なかなか素晴らしい!!いっぺんでファンになりました(笑)
紺野さんは「少しでも関心を持って,出来ることを少しずつ!」とおっしゃっていましたがその通りですね.自分もそうしたいと心から思います.
講話終了後,ご主人に挨拶にいこうとしましたが,先に退席されて残念ながら久しぶりに旧交を温めることは出来ずじまい.こんなもんでしょうね(笑)
さてこのまほろば塾.次回2月20日は比嘉昇氏(夢街道.国際交流子ども館理事長),3月20日は吉岡幸雄氏(染織家・染司よしおか5代目当主)です.
東京会場(三越劇場)では,4月28日に小野田寛郎氏,7月11日坂東眞理子氏,10月31日日野原重明氏,24年1月10日薮中三十二氏です.
皆さんも是非ご一緒しましょう!
先週日曜日、第15回まほろば塾に初めて出席させていただいた時の、率直な感想です。
このまほろば塾は、「物で栄えて心で滅びる」ことを憂い「心のまほろば」を説かれた、故高田好胤管長の精神を引き継ぎ、安田前管主が立ち上げられました。
「まほろば」という言葉を、日本文化の象徴として全国に発信したいとの祈りを込めて、一人でも多くの日本人、いな、すべての日本人に「心のまほろば」を呼びかけ、日本のこころの復活を実現したいと念じていらっしゃいます。
奈良大好きの皆さんは、「まほろば」のことはよくご存知ですね(^-^)v
やまとは国のまほろば
たたなづく青垣
山ごもれる
やまとうるはし
この古事記にあるヤマトタケルノミコトの、あまりに有名な歌の一節としてご記憶にあることでしょう。
まほろば塾では、毎回この精神「優れた・美しい」に共鳴されるゲストの皆さんのお話と、安田塾長さんや山田管主さんの有り難いご講話を拝聴できるのです.幕間のデューク更家さん門下生の嬉しいワンポイント体操まで体験でき,これで年間会費はたった5千円.お得感満載です(笑)詳しくは薬師寺さんのホームページでご確認ください。
http://www.nara-yakushiji.com/
さて、第15回のゲストは紺野美沙子さんでした。同世代でもあり、実はご主人が大学の同級生でもあり、これも何かのご縁かなと。残念ながら結婚式に呼ばれるような関係ではなかったですが(笑)
「主人も来ています」と紺野さんが言われた時の,会場に詰めかけたご婦人方のリアクションは最高でした!殆ど全員がさっと身を乗り出して関係者席を覗き込んだのです(笑)彼氏は昔から二枚目で爽やかタイプで鳴らしており、今も相変わらずでしたよ.
話の内容は、国連開発計画「UNDP」の親善大使として様々な発展途上国を廻っていらっしゃる、そのことを通じて何を感じることが出来たか、でした。発展途上国の恵まれない子ども達を目の当たりにすると,女性目線,特に母親目線で何とかしなければ!という使命感が沸々と湧き上がってくる.一方,現地から日本への帰国の途につくと,そこからは日本人であり,母親であり,女優であるためのスイッチングがおこなわれる...
人柄の良さや温かく柔らかでしなやかなお話しぶりの一方で,このような現実をちらっとお見せいただき,テレビ画面を通じてでは分からなかった「人としての奥行き」を感じ取ることが出来ました.なかなか素晴らしい!!いっぺんでファンになりました(笑)
紺野さんは「少しでも関心を持って,出来ることを少しずつ!」とおっしゃっていましたがその通りですね.自分もそうしたいと心から思います.
講話終了後,ご主人に挨拶にいこうとしましたが,先に退席されて残念ながら久しぶりに旧交を温めることは出来ずじまい.こんなもんでしょうね(笑)
さてこのまほろば塾.次回2月20日は比嘉昇氏(夢街道.国際交流子ども館理事長),3月20日は吉岡幸雄氏(染織家・染司よしおか5代目当主)です.
東京会場(三越劇場)では,4月28日に小野田寛郎氏,7月11日坂東眞理子氏,10月31日日野原重明氏,24年1月10日薮中三十二氏です.
皆さんも是非ご一緒しましょう!

